みよし鍼灸治療院ブログ

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人は n次関数 の放物線

人生は、山あり谷あり出会いあり別れあり…。

数学の放物線と同じだなって思います。
交差した人が、数年後にまた交差するように…。
人それぞれ放物線を描いて進んでいると思います。


私は12歳の時に進学塾に通っていました。
その時にお世話になっていたのが、Y先生。

15歳になり、Y先生の「おまえの性格は桃山向きやな」その一言で、桃山進学を決めました。

高校合格をし、その塾も去り、Y先生との縁も無くなりました。

20歳の時、塾で一緒に勉強した友達から電話がかかってきました
「今、塾に遊びに来て、Y先生も一緒におるから、タコ焼き買って遊びに来てー」
そんな使いっぱしりな5年ぶりの再会でした。

「今、大学生してるんなら、塾で講師せーへんか?」
Y先生の一言から、塾講のバイトが始まりました。

その時、Y先生は、塾の先生を辞めており、鍼灸整骨院の院長をされていました。


ある時「うちの娘が中学受験なんやけど、家庭教師してくれへんかなー」
自分自身、中学受験をしたことがないので、戸惑いましたが、
「勉強は、塾で教えてくれるから、家では宿題をするのを見といて欲しい」
そう言われ、引き受けることにしました。

それが、11歳の小学6年生の女の子でした。

「つるかめ算」「和差算」「食塩水」・・・中学入試独特の「方程式を使わずに解答を出す」というのを、その子に教えてもらいながら勉強をしていました。

自分は家庭教師で「教える」という立場でありながら、1人の人間を「育てる」ということを教わりました。
育てる喜び、分かる喜び、成長する喜び…。教育という原点を教わりました。


その年の11月、家庭教師に向かう途中、原付バイクで転倒をし、一回転したバイクが私の背中に落ちてきて、腕が上がらなくなりました。

次の日は、塾のバイトでした。
黒板に字を書くときに、上の方の文字が書けずに、真ん中から下に板書していました。

その次の日も上がらず、Y先生の鍼灸整骨院で初めて「鍼灸治療」をしてもらいました。
治療が終わり「腕挙げてみー」そう言われ、腕を上げた時に、すっと上がりました。

「鍼灸って治るんだー」

それが、鍼灸の出会いであり、道を進むきっかけとなりました。

無事にその子も中学に合格をし、家庭教師も終了となりました。
Y先生には「恩師の子供を教えるってプレッシャーに良く耐えて頑張ったなー」そう言って頂けました。


時が流れ、先日、facebookである方のタイムラインの投稿
「結婚式に出席しました!」の報告の記事がありました。

そこに書かれていたのが、見覚えのある、その教え子の名前でした
(※読みは一般的ですが、漢字ではこの子ぐらいしか見たことがない)

その名前をクリックすると、当時の面影が残りつつ、大人の女性の結婚式の写真がありました。
記憶の中では12歳のその子も、29歳になっていました。

17年の年月が流れていたわけです。

彼女のタイムラインの中を覗くと結婚式の写真がたくさんありました。

バージンロードを歩くY先生(父親)と教え子(娘)
Y先生の表情はこわばり、悲しそうな顔
教え子は喜びにみちた、幸せそうな顔


新婦の両親への手紙を読んだ後の、花束贈呈でしょうか?
Y先生(父親)と教え子(娘)が抱き合っている写真がありました
それが貼り付けた写真です。(個人情報保護のため加工させて頂きました)

その写真を見た時、ジーンと感動しました。
感動して涙が出てきました。(最近、涙腺が弱い37歳男です。)

過去に自分もこの二人に関わっていたのだと…。

この2人は、自分の人生の大きな大きな分岐点を作った方です。

高校合格をさせてもらった教え子の自分
勉強を教えてくれたY先生

育てる大切さを教えてもらった自分
中学入試の家庭教師をしていた教え子

鍼灸の道を志すきっかけとなったY先生

自分の中でも、この二人に教わったことは大きく、今の人生の源流を作ってくれました。
この二人に出会わなければ、きっと、今の自分は全く違う仕事をしていました。
というよりも、今の自分とは全く異なる自分になっていたと思います。

17年の放物線をまた交差させてくれた、facebookに感謝です。

末永くお幸せに!!

みよし鍼灸治療院では、岸和田・貝塚市・和泉市・泉大津市・忠岡町(大阪)を中心に訪問鍼灸を行っており、みなさんの希望に合わせて、肩こり、腰痛、神経痛など、症状に合わせて、鍼灸治療をさせて頂いております。