鍼灸の歴史
○鍼灸の歴史
ご存知のとおりだと思いますが、鍼灸治療はとっても古い歴史を持っています。
中国四千年の歴史の始まりと同じぐらい、長い歴史があります。
鍼(はり)の歴史は、元々、意外な所から生まれました。
ある老人が、腰が悪くなり長い距離を歩けなくなったそうです。
その人は、若いころから山登りが趣味で、歩けなくなる前にもう一度山を見に行きたいと、家族に連れられて山に登ったそうです。
その途中で、足を踏み外し、崖から転落し、背中から石の上にたたきつけらたそうです。
家族は、助からないのではと思い、崖を下ると、なんと、そこには、ちゃんと歩いている老人が痛そうです。しかし、石の上には大量の血がついていたいのですが、現実に痛みがなくなっている状態があるということに不思議に感じていたそうです。
そして、その後、痛みに対して、石をぶつける事で痛みが無くなることがわかり、「へん石」と呼ばれる、石を鋭く尖らせたものを使って治療を行っていました。これが、鍼治療の始まりでした。
お灸に関しては、元々、ヨモギをそのまま健康食にしたり、乾燥させて細かく砕いて、それに火をつけ「悪い気を追い出す」という呪術的な形から始まりした。その後、「お灸」として、発展していきました。
その後、時代とともに、鍼は、現在のような金属を使うようになり、また、治療に関しても、始めは、痛いところに打つという方法から、体系的に体験的に発展をし、本にまとめられ、脈々と受け継がれていきました。
古代中国の殷王朝・周王朝時代に、黄帝と王様とその家臣による問答を記述したと云われる世界最古の「医書」で「黄帝内経」素問・霊枢というのができ、その頃に流行っていた、陰陽五行説という自然哲学思想と組み合わされ、古代医学の基礎理論として重要な役割を発揮しています。
日本においては、飛鳥時代に「鍼灸明堂図」などの医書がはじめて伝来され、鍼灸治療が始まりました。その後、安土桃山時代に京都の御園意斎が、それまでの鉄針のほかに金針や銀針を創製しました。
江戸時代には、後藤艮山や杉山和一検校の杉山流鍼灸といった実証的東洋医学が発達しました。現在も使われている「管鍼法」(筒に鍼を入れて皮膚に打ち込む方法)は、杉山和一が考案したものです。
後藤艮山は、温泉やお灸、とうがらしなどを好んで用いたそうです。
現在では、医療分野だけでなく、スポーツ、美容、教育分野、その他企業における健康管理など活躍の場は飛躍的に広がりつつあります。
鍼灸や、東洋医学の発展に伴い、科学的にも解明され、身体の表面にある「経穴(つぼ)」に物理的な刺激を行い、東洋医学で言う「血液の循環改善」を行います。こうして、肩こりや腰痛の筋肉の痛み・コリを和らげたり、女性の足腰の冷えの原因と言われる血液の循環を改善・治療する技術として広く認知されてきました。
一般的に中国鍼がやや太く痛いよく効く、日本鍼は細くて刺激が弱くあまり痛くはないというイメージです。しかしこれは誤解されたイメージです。中国鍼では細い針を使用する場合もよくあります。美容鍼という鍼は非常に細いです。
一番重要なのは、治療に対する双方の考え方の違いです。日本の鍼治療は、法的にも社会文化的にも医療の補助あるいは民間療法的な色彩が強いというのが大多数の感覚だろうと思われます。それに対して中国針治療は、治療的効果を第一に考える『医療としての治療』が行われてきました。
古代から漢方薬と共に医療の一分野を担ってきた歴史があり、現代中国でも西洋医学共に人々の健康を担う大きな役割を果たしています。鍼灸治療の最も重要な作用は疾病ではなく、患者を治療対象としており、針灸などで刺激してツボに働きかけ、身体の自然治癒力を目覚めさせて疾病を回復させる。予防医学とも言われています。
最近、CMや、雑誌で騒がれている「未病治」という言葉は、病気になる前の状態で治すという事を意味し、予防医学が騒がれている昨今、鍼灸治療は注目される分野であるともいえると思います。